インタビュー ボランティア

タイ北部で読書支援を続ける「アークどこでも本読み隊」|代表・堀内佳美さんインタビュー

堀内佳美さん・自己紹介

高知県出身の堀内佳美と申します。タイ北部チェンマイ県プラーオ郡というところで、「アークどこでも本読み隊」という団体を運営しております。タイに住んで今の仕事を始めてから10数年が経ちました。

プロフィール

氏名堀内佳美(ほりうち よしみ)
出生年・出生地1983年(昭和58年)高知県高知市(旧春野町)
中・高校高知県立盲学校に在学
2003年4月国際基督教大学(ICU)入学
2004年3月ICUとICU教会が運営するタイでのワークキャンプに参加
2005年タイの国立タマサート大学留学(交換留学)
2007年国際基督教大学(ICU)卒業
2007年〜2008年大手証券会社で翻訳家兼翻訳管理者として勤務
2009年インドのケララ州にある社会企業家を育成する団体
カンタリ・インターナショナル(Kanthari International)のプログラムに参加
2010年2月バンコクにて、アークどこでも本読み隊の前身となる活動を開始
2014年1月アークどこでも本読み隊」タイで正式に法人登録
2016年シチズン・オブ・ザ・イヤー受賞
2017年平成29年度外務大臣表彰を受賞

子供の頃

子供の頃はどんなお子さんでしたか?

好奇心が旺盛で、何でもやってみたがりでした。もちろん本は大好きで、これは私の原点ですね。活発な感じで、「春野の猿」と呼ばれていました(笑)
春野は今は高知市に合併されましたが、昔は郡部にありました。春野町に生まれまして、家は第一兼業農家だったので、農家で育って、田舎のやんちゃな女の子でしたけど、もともと小さい時から目が見えなかったので、家族はかなり過保護に育てているところがあって、そのヤンチャぶりが存分に発揮できなかった一面もあります。
幼稚園の頃は、高知県春野町立中央保育所に通っていました(平成20年 1月. 高知市と合併し、春野中央保育園と改称)。

子供の頃から、どのように本に触れてこられたのですか?

学校に入る前は文字が読めなかったので、主に祖父が読み聞かせをしてくれました。父や母など他の人も読んでくれましたが、両親は働いていたこともあって、祖父母に育ててもらったようなものでした。寝かしつけは祖父母だったのですが、祖母は文字を読むのが得意じゃないと言っていたので、祖父が読んでくれることが多かったです。絵本や児童文学や子供向けのノンフィクション(なぜなぜ、どうして?みたいなシリーズ)などを読んでくれたのを覚えています。
小学校に入ってからは点字を習ったので、盲学校に置いてある子供向けの本から始めて、小2の頃に高知市民図書館に高知点字図書館という、点字や録音の図書を置いてあるところがあるのを知り、そこでも本を借りて読むようになりました。点字や録音の図書は一般の本屋さんでは売っていないので、学校や図書館の本を利用するという感じでした。

小中・高知での盲学校生活

高知での学生時代のことを教えてください。

市内の高知県立盲学校に小1から通い始めました。初めは家からも離れているし両親も共働きだったので、子供用の寮に入る予定だったのですが、私が寮に入るととても性格が暗くなってしまったようで、両親が心配し、寮で晩ご飯を食べて寝るのは実家、という異例の形にしてもらったとのことでした。母が盲学校から車で15分のところ、播磨屋橋の近くに職場があったため、送り迎えをしてくれました。寮を学童のように使わせていただいていたのです。夕方6時ごろ迎えに来てくれました。

高知県立盲学校はとても小さな学校です。日本全体で今盲学校はどんどん小さくなっているのですが、高知盲学校は特に小さい学校でした。私が中学校を出た時には、幼稚部からマッサージなどまで学ぶ専攻科まで含めても20人ぐらいしかいなかったです。

中学校に上がった頃思春期で、自分の立ち位置とか、自分が他の人と比べてどうなのかとかを考えるようになりました。同い年の人たちと一緒に勉強したいという思いが強くなって、中学2年生の頃に東京にある学校に進学を希望するようになり、先生たちにもたくさんサポートしていただいて、受験をし、高校入学を期に上京しました。

高校・東京からアメリカへ

どのような高校でしたか?

筑波大学附属視覚特別支援学校」という東京都文京区にある学校です。もともと母がその学校を知っていて、中学生から行くことを勧めてくれたのですが、まだ私が行きたくなくて、固辞していました。中学になってから気持ちが変わって、自分から行きたいというようになりました。そして15歳で上京して、敷地内にある寄宿舎で生活をしながら通っていました。高校3年生の途中で9ヶ月間、交換留学でアメリカに行きました。戻ってきてから高校3年生を履修したので、3年生を2回やっている形になります。

どこに留学したんですか?

田舎なんですよ(笑)田舎から来て田舎に行ったっていう感じなんですけど、カナダと国境を接しているミネソタ州に留学しました。

行く前から英語はできてたんですか?

できてたっていうか、日本の義務教育での英語とラジオ英会話を好きで聞いているぐらいだったので全然喋れなかったですが、英語自体には中学生からずっと興味があり、中高通して一番好きな教科だったんです。そんなこともありアメリカに行ったんですけれど、行った時には全然喋れなかったので、初めの1ヶ月ぐらいはとりあえずヘラヘラ笑っとくみたいな(笑)よくわからないうちにいろんなところに連れて行かれるみたいな状況が続いていましたね。

留学してみて、アメリカと日本での視覚障害者の生活の違いなどはありましたか?

そうですね。私は盲学校と一般の学校と両方に行ってたんですね。私は全盲で、全盲はかなり障害が重い方とされるんですけれども、そんな生徒でも一般の学校に通うのがアメリカでは60年代・70年代から一般的な措置としてされているんです。良し悪しあるかもしれないけれど。
そういうことで私はアメリカの一般の学校に通っていたのですが、部活が季節制で変わるのが日本と違いましたね。最初は陸上、そしてチアリーダー、その後水泳みたいな(笑)

視覚障害という意味では、日本では盲学校だけで生活してきたのですが、一般の学校に普通に入ってその中でもちゃんと教材を提供してもらって勉強するという制度自体が日本にはまだなかったので、(デフォルトではなかった)、統合教育的な経験ができてよかったし、刺激になりました。

英語はレベルアップしましたか?

かなりしましたね。その頃はSkypeやFacetime・LINEもなく、SNSもなかったので、日本とのコミュニケーションといえば国際電話。国際電話のクレジットカードをスーパーで買って、その電話番号にかけてそこから案内に従って電話番号を押して…みたいな、すごくめんどくさかったんですよ。しかも、私の交換留学を斡旋してくれた会社の方針で、留学している間はできるだけ日本人との交流はしないほうがいいということで、親も来ちゃいけなかったし、日本との交流がほとんどありませんでした。

1週間に1回程度メールや、電話でのやり取りはしていましたが。周りにも英語を話す人しかいなかったですし、メディアも今みたいにアメリカにいながらにしてYouTubeやNetflixで日本のものをずっと見ていられる環境ではなかったので、それはすごく幸いしたと思っています。

タイ・チェンマイへ

今チェンマイにおられますが、まず初めになぜタイに来るようになったのですか?

アメリカに初めて行った時に語学キャンプというのが1ヶ月オプションでつけられて、その時に日本人とタイ人が集中的に英語を学ぶというのをやったんですね。アメリカのアイオワ州というところで。
その中でも一人のタイ人の女の子がとても面倒見が良くて、いろんなところに一緒に行ってくれたり、動物園に行く時に一緒に歩いてくれたり。日本人の子もたくさんいたので仲良くなったんですけど、その中でも親しくなったタイの友達を通してタイの文化や、言葉に興味を持つようになったのが一つのきっかけです。

そして高校3年生の途中で(日本の学校に)帰ってきて、受験勉強と同時期に、興味を持っていたタイ語を勉強するようになりました。大学生の時に初めて、タイ・チェンマイのパヤップ大学と、私が行っていた国際キリスト教大学との、それぞれの教会が提携していまして、国際交流キャンプ(ワークキャンプ)を年に1回実施していました。大学1年生から2年生になるまでの春休みにチェンマイ・チェンライに行って、パヤップ大学の子達と一緒にラフ族の人たちが暮らす村の教会を建て直すという事業を一緒にやったのが初めてのタイです。偶然なんですけど、タイに来た初めてはチェンマイだったんですね。バンコクではなくて。

それですごいどハマりして、もともとタイ語をやっている頃からハマってはいたんですけど、チェンマイに来ていろんな人にお会いして楽しくて・・・。それからどんどん。大学時代の友達に聞いてもらったら、私といえばタイ、というみんなのイメージができるくらいタイにすごくハマって。ネットでタイのラジオを聴いたり、タイの歌をダウンロードしまくったりとか、そんなことばっかりしていました(笑)

そして大学3年生の時にタマサート大学に1年間、留学しました。その頃からタイで仕事をしたいと思うようになっていました。その後日本で就職したりするんですけど、結局2010年(卒業から4年後)にタイに戻ってきて団体を始めるということになりました。

北タイの良いところはなんですか?

言葉ではなかなか言い表すのは難しいのですが(笑)。もともと私はタイに初めてきたのがチェンマイなのですが、それは2週間足らずでした。その後通ったタマサート大学はバンコクでしたし、本当に自分で動けるようになったり、人と知り合ったりしていったのはバンコクなんです。その後友達との旅行や、大学のフィールドトリップの授業の一環でチェンマイに来ていたのですが、その度にすごく懐かしい感じがしたのです。特に北タイのフォークソング(北部の民族楽器を使った音楽)などを聴くと、鼻の奥がつんとしたりして・・・。それが私とタイ北部との繋がりの初めだったかなと思います。

音楽とか空気感とかは、私がチェンマイで仕事をする上でも支えになっている部分だと思うので、もしかしたら前世はこの辺で生まれたのかな?この辺の猫とか犬とかだったのかな?とか思いますけど(笑)

タイと日本のちがい

タイでの生活で、日本と違ったことはありますか?

タイと日本の違いって、人を手助けすることへのコンセプトが違うというのがすごく大きな印象だったんですよね。大学に入って1年目にわりと苦労して、それまで基本的に盲学校で生活してきたので、自分の教科書も点字だし、宿題の提出も点字だし、プリントをもらう時も点字でもらえて当然、というのがそれまでの生活だったんですけど、大学に入ったら当然周りは見える人で、教科書も基本的には普通の文字の書かれたものをボン!って置かれて、それを自分で点字にしないといけない。

ボランティアさんを探してその方とコーディネートをして作ったり、先生にお願いしてプリントのデータ版をもらったり、それを手直ししたりと言うことを全部自分が中心になってやらなければならなかったんですね。それまでぬくぬくと準備されたものをこなすだけで良かったのが、自分が準備しなければならない側になって。

それまでは何でも「読みなさい」と言われたものは全部読まないといけないと思っていたし、「やりなさい」と言われたことは全部やらないといけないと思っていたんですよね。手抜きの仕方とか全然知らずに生きてきたので大学に入った時にめちゃくちゃしんどくて、人に頼ることもできるだけしちゃいけないことだと思ってきたので、見えないということを強がっていたというか、できるだけ人には迷惑をかけちゃいけないし、「見えないということをできるだけ人には負担に感じさせちゃいけない」みたいな思い込みが自分の中ですごくあったんですね。

そして大学1年生の時にタイに来て、タイの人たちに会った時に、ここでは手助けをするのが当然、困っている人がいたら、「困ってますか?」とか聞かずに手を出すみたいなところがあって(笑)。「今やめて」みたいに、困ることも無くはないんですが。私が車椅子ユーザーだったりしたらまた違うかもしれませんが、目が見えないとどこに誰がいるかもわからないから、声かけてもらったほうが圧倒的に楽だなと私は感じていて。

タイ社会=100バーセントお返ししなくても良い社会

タイ社会での人助けの特徴とは?

例えば大学にいた時も、周りの目が見える友達も目が見えない友達も、お互いに助け合うことが自然というか「当然」。その代わり私は得意分野でお返ししたりしなかったり。「ギブアンドテイク」が別に100パー100パーじゃなくてもいいんだ、そういう社会で成り立っているんだ、っていうことを肌感じました。日本ではどうしても「助けてもらうからには私もこれをやらなきゃ」とか、助けてくれる人も「これはやった方がいいですか?」とか。まずは私のことを観察して困ってそうだったら声かけるかどうか考える、みたいなところが日本の人には全ての世代にあるのですが、タイではとりあえず何も聞かずに手助けする、ということが多いです。

必要がなければ私の方から断るということもあるのですが、とにかくタイの社会を知るようになってからすごく気持ちが楽になって、自分が周りに張り巡らせていたバリアや殻みたいなものがガシャガシャと音を立てて崩れていったような感じですね。

「できないことはできないと言うしかないよね」みたいな。「ゴメンこれ手伝ってもらえますか?」と言って、ダメだと言われたらその時考えればいいかな、と。「手抜き」もそれに倣って適当に、できるところはやって、できないところは(やらない)・・・タイ人もそうだし(笑)
そうやってやっていっても何となく「生きていけるんじゃん、そういう人生もあるんじゃん」と感じるようになりました。それが私にとってタイで学んだ一番大きなことでもあるし、タイでもらった一番大きな財産であるかなと感じています。

アークどこでも本読み隊を作るまで

今のお仕事に至る経緯を教えてください。

大学卒業後、その直前までタイで仕事をしようと思っていたんですが、3年生から4年生にかけた時期に父が病気(良性の脳腫瘍)になり、実家が高知なので、バンコクにいたとしても何かあった時にすぐに行けない(6時間+乗り継ぎで丸1日かかる)ので、そういうところで働くのは不安だなぁと思ったので、日本での就職を急に決めて、4年生の9月に帰ったんですけど、それから就活と卒論をやりました。

声をかけてくれたところにとにかく行く、という形で面接を受けさせてもらったのですが、都内にある証券会社のIT部門で外国人スタッフのコミュニケーションを円滑にするためのサポートをする部署に就きました。私は新卒で自分の障害とか能力とかを人に伝える力がなかったですし、「何ができて何ができないのか」も、「どこまでが自分の障害でできなくて、どこまで自分の能力でできないのか」自分でも理解できていなかったし、それを周りに伝える能力もありませんでした。とにかくその企業にいるときはつまらなかったです。企業の方も私をどう使っていいかわからなくて持て余し気味だったのを感じていましたし、私も生まれて初めてぐらいに自分に障害があることによってリミットがあるということを強く感じていました。

そんなこんなで、証券会社で働きながらも国際協力でタイに戻りたいという気持ちがずっと強くあって、割と父も安定してきたので、その時に巡ってきたチャンスに飛びつきました。インドのカンタリ・インターナショナルという学校で社会企業やNPO・非営利組織の立ち上げまでの運営からノウハウまでを学ぶ学校が2009年にできたんですけど、その一期生として1年間インドに行くことにしたんです。
それに行くためには「じゃあ、何をしたいか」というのを決めないといけないということで、よく考えてみたところ、ずっと国際協力に興味はあったのだけれども、私にできることでタイに必要なことと考えた時に出た答えが「読書支援」とか「読書推進」だったんですね。

その答えを持ってインドに行って勉強して、企画書や予算書を作って帰ってきて、2010年にまずはバンコクで活動を始めました。

タイで読書支援をする意味

なぜタイでボランティアをすると決めた時に、読書支援が必要だと考えたんですか?

私は物心ついた時から物語の世界に魅了されていたんですけれども、タイに来た時に衝撃的だったのが、全体的に全然本を読んでいないことでした。

留学中にインターンやボランティアなどでタイのさまざまな地方に行かせていただいたんですが、NGOのフィールドトリップなどで家庭訪問に行った時に「絵本はありますか?」と聞いても「ないない、一冊もない」と聞いたりしました。一番衝撃を受けたのが、休みの日にエッセイ本などを読んでいた時に友達から電話がかかってきて、「佳美何やってんの?」と聞かれ「本読んでた」と答えると、「お、偉っ!」「偉いね」という反応が返ってきたことです。私の中では「偉いね」という言葉と「読書」が全然つながらなくて

タイの人たちは読書は偉いというか、真面目な人がすることだと思っているんだということがその時イナヅマのように分かって、それがすごく心に残っていました。そして読書をしていない人もたくさんいるということも感じていたので、インドに行くにあたっていろいろ調べていたところ、読書をするためのファシリティ・・・例えば図書館なり本屋さんというものが大きな街にしかないということや、本は結構高いということもわかってきました。

当時ガパオライスや麺類が25〜30バーツぐらいで食べられましたが、本は100バーツぐらい出さないと買えなかったんですね。それも、ペラペラのソフトカバーの絵本ぐらいで、ハードカバーの単行本で翻訳物ともなると、300〜400バーツもします。つまり簡単な一食分の食事の10倍ぐらいださないと本が買えないということも分かりました。私の友達みたいに、「本は偉い人が読むもの」というイメージもすごく強いのもわかってきました。

インドにいた学校を設立したサブリエさん、私のメンター(ロールモデル・お手本とする人)の一人なのですが、その方がチベットに盲学校を作ったのですが、その盲学校の全盲の男子生徒さんが、「僕はタクシードライバーにはなれないけれども、タクシーの運営はできる」と言っていたんです。つまり、運転はできないけれど運営はできると。それを聞いて私は「活字は読めないけれど、本をタイの人たちに広めることはできるかも?」と思うようになって、図書館というものを考えるようになりました。

今はeBooksとかオーディオブックスとか、一般的に買える本で目が見えなくてもアクセスできる本が増えてきていますけど、80年代~2000年代初頭というと、本は「ボランティアさんが点字や音声に訳さないと読めない」ものでした。ですから私も、読書を楽しむためにはボランティアさんの手助けが必要でした。今でも必要です。だからこそ、私が人に助けてもらった分を、タイで本の素晴らしさや楽しさを知らない人たちにパスする(伝える)ことができないかな?そんな気持ちもありました。

「アーク」という名前の由来は何ですか?

私は名前をつけるのがヘタなので、友達に相談して決めました。大学時代からの日本の友達(今も国際協力関係で働いている)と、インドで勉強していた時に知り合ったEU圏の官僚の方の2人のアイデアを合わせて「Always Reading Caravan」とし、その頭文字(ARC)から和名「アーク」になりました。
タイ語では「本の虫キャラバン」という意味の名前で始めました。法人登録を期に、英語名は「Bookworm Foundation(本の虫財団)」と変えました。

活動内容

現在の活動内容および、今に至る過程を教えてください。

2010年に始めた時にはバンコクで活動していました。その時は私も別の財団でパートの仕事をしながら、余暇の時間にアークの活動をするという形をとっていました。当時は人を雇わずに、ボランティア活動ということで、週末などの休みの日に公共交通機関やボランティアの車両を出してもらって、公園や村とか、子供のための施設とかに行って移動図書館活動をしていました。本を持って行って読み聞かせをしたり、その後折り紙をしたりとか、クラフトやゲームをしたりといった内容です。

1年ぐらい続けていたのですが、その間にバンコクでの活動に限界を感じるようになりました。なぜかというと、バンコクは大きな都市ですので図書館も無くはないですし、本屋さんも大きなショッピングモールには必ず入っています。なので、「ここで活動する意味はあまりないんじゃないかな?」と感じるようになったんです。でも私はタイ人じゃないので、田舎があるわけではなく、農村部、とは思いつつも、どこという具体的なアイデアは無かったです。

その中で、今いるプラーオ郡の非営利団体「ウォームハート財団」という地域開発をしている非営利組織があるのですが、そちらの代表のアメリカ人の方から、「あなたのことをあなたの大学の先生から聞いたんだけど、プラーオというコミュニティを知っていますか?」とメールをいただきました。曰く、「本当に辺鄙なところで、どこかへ行く通過地点でもないからどん詰まりのような所だし、あまり開発の手も入っていないんだけど、図書館とかちゃんとしたものは無いし、ニーズはとてもあると思うんだよね。何か一緒にやれたらいいなぁ」という形でお誘いをいただきました。

バンコク・チェンマイ・プラオの位置

それで実際に現地に行ってみたら、おっしゃる通りの田舎で、図書館は一応日本でいうところの定時制学校が運営しているものがあったんですけど、子供の本なんて皆無だし、本屋さんもゼロで、セブンイレブンの前で雑誌がちょっと売っているぐらい。だから、ここでいいかなと思って。地域と繋がっている人がいて、スタートを手助けしてくれる人がいるということが大きかったですから。ウォームハート財団の方々が手伝ってくださいました。

初めの1年は財団に籍を置かせていただいて、その中で地域を見て回ったりだとか、人集めをしたりだとかして、2012年初めに、パーマネントスタッフ(有給で常駐で働いてくれるスタッフ)を雇って活動を始めました。

現在の主な図書館活動について教えてください。

徐々に活動が広がっていき、現在はプラーオ郡の中心地から2kmぐらいのところにある「メーゴイン村」で、「ランマイ図書館」という地域に開かれた図書館を運営しています。約1万冊の蔵書があるのですが、そこにいても誰も来なくて、下手したら一日中誰も来ないとかザラなんですよね(笑)。

待っているだけではダメなので、本の代わりに歩ける足にならないといけないということで、「移動図書館」を展開しています。年間に100回ぐらい、学校や幼稚園や地域のお寺などいろいろな所に行っています。他にも障害や高齢で家から出られない人たちにも本をお届けする「訪問図書館」や、郡内に20箇所ほど点在する「本の虫コーナー(小さな本棚のようなものに本を回していくという文庫)」などの活動があります。これらが「図書館プロジェクト」です。

山岳民族の支援活動について教えてください。

2つ目のプロジェクトとして、山岳民族の子供達の支援をしています。もともと山の上の人たちにも図書館を持って行きたいと思ったのですが、行った時に全然タイ語が通じなくて(笑)。本を持っていっても意味がないのでどうしたらいいと思います?と村の人たちに相談したところ、「子供たちは小学校に入ったら、嫌が応にも村から出て里の小学校に入らなければならない。親元から1〜2時間離れてしまうので、その間ずっと寄宿舎で生活しなければならなくて、突然タイ語の環境になるから、子供たちはついていけなくて本当に苦労するんだ。そのギャップを埋めるような、幼稚園みたいなものを作ってもらえたら親御さんもすごく助かると思うよ」というお話しでした。

「じゃあ作りましょう!」と、全然何も知らずに軽い気持ちで作ったのが、山岳民族の子供達の識字教育をしている「太陽の家」です。実は「ランマイ図書館」よりも前にできているんですよね。そこは、「アカ」と「ラフ」という民族の子供たちが通ってきています。

もう一つ、2015年に「リス」の人が暮らす村に、二つ目の幼児教育センター、「笑顔の家」を作りました。「太陽の家」と「笑顔の家」を通して、少数山岳民族の2〜6歳の子供達が家にいながらにしてタイ語やタイ文字、英語のアルファベットに慣れ親しみ、社会性を養うプロジェクトを運営しています。

他にどんなプロジェクトがありますか?

他には「多様性を推進するプロジェクト」を少し前に始めました。例えば「でこぼこ絵本」と言って、目が見える子供も、見えない子供も、自閉症の子供も、目が悪くなってきたおじいちゃんおばあちゃんたちも一緒に読んで楽しむことのできる絵本を作成して普及させるというプロジェクトが、すごくゆっくりなんですけど動いています。

またタイ北部は言語の多様性がすごくある地域なんですね。「カンムアン」と言われる北部方言や、それ以外にも多くの少数民族が共存している地域なので、アカ語とかカレン語とか、ラフ語・リス語・パロン語など多くの言葉を話す人々が混じり合って生活しています。そうした言語を使った読み聞かせ動画を作って広めよう!みたいな活動も多様性のプロジェクトの下で行っています。

北部タイの少数民族の言語を使った読み聞かせ動画の例

このように、アークは「図書館プロジェクト」「山岳少数民族の幼児教育プロジェクト」「多様性を推進するプロジェクト」の3つの柱で運営しています。

運営メンバーは何人ですか?

私は無給で働いていますが、有給でタイ人スタッフが5人ほど働いてくれています。他にボランティアですが、タイ人もいますが多くはバンコクやチェンマイの日本人の方です。チェンマイでは最近日本人の方が増えてきて嬉しいんですけど、そうした方々が運営やイベント開催のお手伝いをしてくださっています。だいたいチェンマイとバンコクを合わせて15人ぐらいいるかな?

日本や海外にいる日本人の方・外国人の方も支援者はいるのですか?

いらっしゃいます。タイから日本に帰られた後も、例えばGoogle翻訳を活用しながらFacebookでアークの活動内容を書いたタイ語の記事を和訳してくださっている方や、日本でイベントを手伝ってくださっている方がいます。海外ではIT会社の方がうちのウェブサイトのメンテナンスをしてくださっていたり。
私たちの活動は日本語・英語・タイ語で発信しているので、どこにいるとかあまり関係なく、それぞれの方の特性を活かしてボランティアとして関わってくださっています。

本格的にボランティアに関わる方以外にも、気軽に支援者として関わる方法はありますか?

まず一つ大きなシステムとしてあるのは、最近オンラインでクレジットカードを使って寄付を受け付けられるようになったんですけれども、一口4,000円年間サポーターという形で募集しています。その額でなくても、いくらでも寄付は受付しております。私たちの活動はどこにも大きな後ろ盾がないんですよね。なので毎年、来年いくらお金が集まるかというのは神様も知らないんじゃないかという(笑)感じの状況で、本当に自転車操業で、私が色々な方にお願いしたり、イベントを企画したりして活動を続けてきたんですが、それでは困るということがよくわかりました。
そのため、ご無理のない形で継続して寄付をしていただくために「年間サポーター」制度を作りました。その他にも単発の寄付も随時受け付けております。

物資に関しては日本から送っていただくと非常に費用がかかりますが、タイ国内・バンコクやチェンマイなどから冬服を募集して送っていただいております。またアークで行う子供達向けのイベントやゲーム・読み聞かせの大会の景品になる可愛い小物や文房具なども受け付けております。文房具は可愛くなくても事務所用に使えますので、大丈夫です。

また、本に関してはタイ語の子供向けの絵本や、すべての世代の人たち向けのタイ語の本を受け付けております。いわゆる「仕掛け絵本(飛び出す絵本や音が鳴る絵本など)」は、タイはすごく少ないので日本語でも英語でも、何語でもお願いしております。何かボランティアとして関わりたい・お手伝いがしたいというお気持ちがあれば、まずは一言お問合せしていただけたら嬉しいです。

基本的には何でも受け付けているのですが、具体的に何かというのは、皆さんが思っていらっしゃるのと私たちが求めているものがマッチングしないと、せっかくいただいてもうまく活用できないと申し訳ないですし、物も可哀想なので、ぜひ「こんなのどう?」という形でお問い合わせいただけたら嬉しいです。

高知の旭食品のロゴのついている「はるの号」
高知の旭食品のロゴのついている「はるの号」

地元高知からも支援はありますか?

ありますよ高知から〜!!母が昔働いていた「旭食品」さんです。昔ははりまや橋にあり、今は南国市にある食品流通会社です。そこの会社の役員さんが私たちの活動をたまたま新聞で読まれて、それがきっかけで何と「移動図書館カー」を寄付してくださったんです。それが「はるの号」です。旭食品のロゴは入れてあるんですが、名前は入れないでということだったので、私の故郷から「はるの」としました。プラーオでタイ人の皆さんも「はるの、はるの」と呼んで親しんでくれています。

なぜ名前を入れなかったのでしょう?

たぶん、タイの人たちと同じような考え方で、良いことをするのにわざわざ自分の名前なんて使わなくて良いよ、という感じで考えていらっしゃるのではないかと思います。ありがたいですよねホントに・・・。

アークどこでも本読み隊の活動に興味がある方へ

アークの活動に興味のある方にメッセージをお願いします。

皆さん色々な世代の方がいらっしゃると思うんですが、周りに子供がいたらとにかく本を読んであげてください。大人が週に3回でも良いから本を読んであげれば、私たちみたいな読書推進活動なんてしなくていいんですよね。だから子供達に「読書の喜び」という小さな火を灯してあげるために、おじいちゃんでもお父さんでもお兄ちゃんでもどんなお立場でもいいので、本を読んであげて欲しいです。

また、私たちの活動も長く続けていきたいので、できれば皆さんのできるご支援をお願いしたいです。もしビジネスをやってらっしゃる方がいたら、私たちできれば将来ビジネスをやって、そのお金でサステナビリティを確保していきたいと思っていますので、ビジネスアイデアや運営のアドバイスなんかもいただけたらとても嬉しいです。

金銭的なご寄付ありがたいですし、それ以外にもタイ語の本があるよとか、冬服あるよとか、そうしたものがあれば何でもいいので、寄付やボランティアもしていただけたら、とても嬉しいです。
今はQRコードでも寄付できるようになっています(注:タイ国内のみ)ので、ウェブサイトにも載せておりますのでよろしければご覧いただいて、もし共感いただければご協力いただけましたら大変幸いです。よろしくお願いいたします。

アークへの寄付について

タイ国内銀行口座へのお振込みをご希望の方は、以下の口座をご利用ください。

口座名義:Bookworm Foundation
銀行名:Kasikorn Bank
支店名:Central Festival Chiang Mai
口座番号:普通 043-8-15111-7
SWIFTコード:KASITHBK
住所:99,99/1-2 Central Floor 3, Road Superhighway Chiangmai-Lumpang, T. Faham, Muang, Chiangmai 50000 Thailand
Tel:+66 53-807-605

あるいは、こちらのQRコードをご利用ください↓

タイの口座へお振込みいただいた場合は、お手数ですが、
1. お名前
2. お振込みいただいた金額
3. お振込みいただいた日付
を、以下のメールアドレスまでお知らせください。
donation@alwaysreadingcaravan.org

みなさまからいただいた寄付金は、今後の図書館活動や幼児教育センター運営費、でこぼこ絵本作成費などに使わせていただきます。
日々の活動の様子は、「三つのプロジェクト」 のページに掲載してありますので、ぜひご覧ください。
また、「Facebookの日本語ファンページ」 でも、最新の活動を写真や動画と共にご覧いただけます。

クレジットカードご利用、あるいは日本の銀行口座へお振込みいただく場合は、オンライン決済システム、「コングラント」のページよりお願いいたします。

コングラントからのご寄付はこちら (初回のみ簡単な登録が必要です)

本の寄贈について

おうちに眠っている絵本はありますか?お子様がすでに大きくなられ、使っていない絵本などはありますでしょうか?
アークはいつでも、チェンマイ県プラオ郡にあるランマイ図書館に置けるような絵本を探しています。
日本語で書かれていても、タイ語に翻訳をするボランティアスタッフがおりますので、状態がよい絵本でしたら、いつでもお気軽にご寄贈ください。

ただ、日本などタイ国外からお送りいただく場合、送料が大変高くなってしまい、かえって申し訳ないですので、タイで特に手に入りにくい仕掛け絵本(飛び出す絵本や音の出る本、布の絵本など)のみに限定させていただいております。

絵本の寄贈に関しては、以下のいずれかの住所でお願い致します。

<タイ国内外から郵便局のサービスなどを利用してお送りいただく場合>
Rang Mai Library
PO Box 6,T. Wiang
A. Phrao, Chiang Mai
50190, Thailand
Tel: +66 93 212 5006

<クーリエなど、民間のサービスを利用してお送りいただく場合>
Rang Mai Library
169 M. 6, T. Wiang, Phrao
Chiangb Mai 50190 Thailand
Tel: +66 93 212 5006

物品の送付について:インタビューにもある通り、ニーズがないものを送っても勿体無い・活かせない恐れがあります。
まずは確認のためにアーク宛にお問い合わせをお願いします。

アークどこでも本読み隊・お問い合わせ・ご連絡先

ホームページhttps://alwaysreadingcaravan.org/japanese/index.php
Facebookページhttps://www.facebook.com/ARCbookworm.jp
堀内佳美さん X(旧Twitter)http://twitter.com/YoshimiARC
メールアドレスbookworm@alwaysreadingcaravan.org

ボランティア

タイに住んでいて、ここの地域の人々と働いてみたい方はいらっしゃいませんか? 子どもたちに勉強を教えたり、グラフィックデザイン、マーケティングを考えたり、文章を書いたりなどの経験があり、社会貢献に関心のある方はいらっしゃいませんか?
アークはアイデアとやる気のあるボランティアスタッフを、世界中からどこでも、そしていつでも募集しています。

今までにボランティアさんにお手伝いいただいたこととしては……
■ ウェブデザイン
■ アーク通信などの編集作業
■ 動画の編集
■ でこぼこ絵本のパーツ作成
■ SNSのコンテンツ作成や発信
■ 日本語、英語、タイ語の翻訳
■ クラウドファンディングの企画と実行
■ 「アークの会」の運営
などなど、他にもたくさんあります。

私たちの旅は常に続いています!あなたなりの方法で、 社会を変えるためにアークに参加してみませんか?
興味を持ってくださった方は、
japanese@alwaysreadingcaravan.org
までご一報ください!楽しいアイデア、お待ちしてます!

-インタビュー, ボランティア